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 小学校の頃愛用していたジャポニカ学習帳の最後のページにこんな話が載っていました。

 ミケランジェロがダビデの像を彫って王様に見せました。王様には自分の趣味のよさを自慢する癖がありました。そこで
「ミケランジェロ君、大変良い出来だが、ダビデの鼻が少々高すぎはしないかね」
と言いました。
 ミケランジェロはハシゴに登り、ダビデ像の鼻の近くで彫刻刀を鳴らし、手のひらに握っていた削りくずをパラパラと落としました。
「いかがでしょう王様」
「うむ、これでよくなった。まるで生きているようだ」
ミケランジェロは微笑みながらハシゴを降りました。

 私の記憶なので文章は正確ではありませんが、おおむねこんな内容です。読んだ時は
「お馬鹿な王様ねー」
くらいでしたが、ここには社会を生き抜く重要な教訓が含まれています。さすがジャポニカ学習帳です。
 この王様のような上司はたくさんいます。小学校でこれほど重要な教訓を教わっていながら、王様との戦いに役立てていませんでした。

 王様は何かひとつ必ず「指導」しようとします。王様が私の仕事をよく知らない時起こります。人事異動で上司が入れ替わると仕事内容については私の方が詳しいのに、教えている最中に
「こうした方がいいよ」
とか何とか、どうでもいい一言がつきます。私はルールを臨機応変に変えられないので、ルールを変えるなら変えるように、臨まなければなりません。
「今まではこうしていたんですけど今度からこのようにするということでしょうか」
「このケースではどうでしょう」
「前にこんなことがあったんですけど」
感じ悪いですね。向こうはその場の思いつきで言っているだけなのに、言われた以上そうしなければならないと思いこみます。しかしこの
「こうした方がいいよ」
は後であっさり変わります。それはそうでしょう。その場で思いついただけですから。
31 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/03/10(水) 19:03:36.62 ID:5xJXrX700
小鳥遊 たかなし
月見里 やまなし
東風平 こちんだ
九   いちじく
部田  とりた
臥龍岡 ながおか
鶏冠井 かえで
十   もげき
薬袋  みない
華表  とりい
日馬  くさま
一   にのまえ
32 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/03/10(水) 19:05:32.43 ID:rXDXJzDX0
»31
臥龍岡かっこよすぎるだろ。長岡に謝れよ
33 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/03/10(水) 19:11:28.27 ID:5xJXrX700
一   でかた
二   したなが
四   あずま
七   さとる
九   さざらし
十   つなし
四十田 あいだ
五十殿 おむか
五十嶋 いがしま
四十山 そとやま
34 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/03/10(水) 19:17:31.35 ID:5xJXrX700
一寸木   ますき
一尺八寸  かまづか
七寸五分  くつわだ
七五三   しめ
〆渡    ぬきと
人里    へんぼり
八月一日  ほづみ
十七夜月  かのう
十二月一日 しわすだ
十八女   さかり
十八成   くぐなり
shibata616:

お父さんと子供ふたりでつくってた!!!すげー!

今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。

曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。

別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。

「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えば、やはり生で鑑賞したい。それと、絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共に、ノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。

一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。

「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というなら、もっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いが、スノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。

私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。

「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。

結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。

相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ、私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。

こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」

それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。

結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。

「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。

それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。

相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。

そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。

具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。

「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。

「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」

一番多かった問い合わせは「いつになったら回答頂けますか?」というものだった。リアクションがないとお客様は不安になる。このことはお客様の対応をしていく中で大きく気づいたことで、サポートで重要なのはレスポンスの早さであることを学ぶことができた。

たとえば、次のようなものは研修で受けたことがあります。

「核シェルターの最後の5席。銃を持った警察官・女優・妊婦・年寄り・科学者・政治家、さて誰を残すか話し合いなさい」

「難破船の木切れにあなたとあなたが好いている女性とあなたを好いている女性とライフジャケットを持った船員と、あわせて4人。でも木切れは3人捕まると沈む。ライフジャケットは一人しか浮かべない。さて、あなたならどうするか話し合いなさい」

「吹雪の山小屋にあなたとあなたの妻とあなたの母親とあなたの子供と友人の子供が閉じ込められる。乾いている寝袋はふたつ。雪山を単独踏破できるのはあなたひとり。しかし誰も一夜を寝袋なしでは過ごせない。寝袋を誰に渡すか話し合いなさい」

「破産した友人の連帯保証人でヤクザから借金を負った男がいる。妻は子供をつれて離婚し男に慰謝料を請求している。友人は他の女の部屋に転がり込んでいるらしい。男は友人の妻から友人を殺して生命保険を分けようと持ちかけられる。男に金はあるが、慰謝料と借金を返すには足りない。男は殺人を実行する決意を固める。さて、一番悪いのは誰?」

これら自分の伴侶や両親、友人に聞いたら「はあ?お前アホか」と言われるような問いかけをグループディスカッションのテーマとして取り上げるのは、1.答えが出ない 2.それぞれの思想信条によって必ず討論となる 3.各人の答えに妥協の余地が少ない からです。

要はなんでもいい、ただできるだけ答えが出ず紛糾し時間がかかる議題を与えて、お互いの価値観を指弾し非難されつつ半日程度を無駄に論争させる。さらにそれを発表させて、他グループの批判に晒すことで自分の気持ちの中で更なる内的議論を触発する。そうしてすべての価値観に「?」がついた頃合いで、「さあ、ご自分の自己分析をしてみてください。そして、議論を通してあなたがどんな人だったか、グループ内のみんなに聞いてみて、あなたの自己分析と比べてください」とやる。

ランチタイムにどこのお店に行く?という話になった時、「マクドナルドに行こうよ」と提案すると満場一致で「マクドナルドはやめようよ」と返され、不思議とよりよいアイデアが出てくる、というのがJon Bellさんの提唱する「マクドナルド理論」。

Bellさんによればこのマクドナルド理論を使うと、煮詰まりがちなビジネス会議やプロジェクトでより優れたアイデアを出すことができるそうです。

Bellさんのマクドナルド理論とは「実行可能なアイデアのうち最低のもの」を提案することによって、ディスカッションが始まり、人々が急にクリエイティブになることを言います。最悪のアイデアを実行しないために、人々はよいアイデアを出そうとするのです。

このテクニックはBellさん自身が仕事においてよく使うもの。上から指示書を手渡されたり、何かが始まるといううわさを聞いて準備を開始したりと、プロジェクトのスタートはさまざまな形があります。場合によっては人々とアイデアをシェアする前に何年間も考えを練っていることもあり、クリエイティブな仕事を行う時のプロセスに定義付けはできませんが、ただ一つ、全てのクリエイティブな仕事に共通するのは「いつでも初めの1歩よりも2歩目の方が簡単である」ということです。

 子供が突飛なことを言ったら、それを評価してやることが大事だと思う。

「馬鹿なこと言ってるんじゃない」などと無下に否定してはいけない。

 いつだったか、(たしか新聞の投稿で)子供が満天の星空を見て、「蕁麻疹みたい」と言ったことに対して、「近頃の子供は夢がない」と嘆く論調のものがあったが、とんでもない話である。その子供の発想は素晴らしい、と褒めなければならない。星空は綺麗なものという固定観念に囚われている方が、明らかに「不自由」な頭の持ち主であろう。

 抽象的な思考力というのは、日頃から常に、既成観念に囚われないことを心がけて、少しずつ自分の中で育てるしかない。短絡的にこれを習得することはできない。つまり、抽象的にものを見る経験の蓄積でしか得られない能力なのである。抽象的な見方を縦軸にして、横軸に時間を取ったグラフの場合、抽象的思考力は、その積分に比例して育つ、といえばご理解いただけるだろうか(余計に難しいかな……)。